ひどい空腹のために、山がおにぎりに見えだしていた。
ぼくが最寄りの駅で途中下車を決めた背景には、そんな深い事情があった。こうしてぼくが偶然下り立った町、それが須崎だった。
ぼくはあまりの田舎っぷりに度肝を抜かれながらも、おでこに手をかざしきょろきょろと辺りを見まわした。そんなぼくの目に飛び込んできたのは「鍋焼きラーメン」と書かれたのぼりだった。
(鍋焼きラーメンだって? ははん、鍋焼きうどんの間違いだな。誰にでもある単純なミスさ)高飛車にそんなことを考えながら、ぼくは店の暖簾をくぐった。


ほどなくして目の前に運ばれてきた料理は、土鍋に入ってはいるものの、麺はまぎれもなくラーメンである。まったく、どこまで間違えれば気が済むんだろう?ぼくは半ば呆れながらも、箸を割り、麺を口に運んだ。
それはまさに青天の霹靂だった。なんという美味しさだろう、ぼくは思わず唸り声を上げた。そして、おもむろに蓮華を取ると透き通ったスープをすすった。自然と頬が緩む。これまた格別の美味しさである。
ぼくはパチンと指を鳴らして店員を呼ぶと、手を握りその感動を伝え、ついでにビールも注文し、存分に鍋焼きラーメンを堪能した。
(どうかこの人たちが、いつまでもこの間違いに気付きませんように……)ぼくは店を出ると、爪楊枝を使いながらそう神様に祈り、満ち足りた気分で須崎の町を歩きだした。

路地を折れ少し行くと、山の麓にある発生寺という寺にたどり着いた。冷やかしがてら門をくぐったぼくは、そこで一体のお地蔵さまに出会った。お地蔵さまは、首に赤い布を巻いている。
「なんともかわいらしいお地蔵さまだ」
ぼくがお地蔵さまの頭をなでようと手を伸ばしたその時だった。
「それは、坂本龍馬首切り地蔵ですよ」
後ろからそう住職が声をかけた。
「ええ?」
驚いて振り返ったぼくの顔は、般若のように歪んでいたことだろう。住職は思わず後ずさる。
「こ、こ、このお地蔵さまが、りょ、りょ、龍馬の首を……?」
ぼくはぶるぶると震え、恐怖のあまり住職にすがりつき、ついに膝から崩れ落ちた。


住職は困惑した表情を浮かべながらも、このお地蔵さまの由来を話してくれた。 真実を知ったぼくは、首をすくめ舌を出しておどけると、自分の早とちりにぽかりと頭をやった。そして、思いもよらず龍馬の痕跡に触れられたことに胸を熱くしたのだった。
お大師通りと呼ばれる通りには、四国別格二十霊場五番札所である大善寺、百ニ十年続く老舗の旅館、大正時代創業の醤油屋などが点在し、また、別の通りには、古い建物を利用したギャラリーや土佐藩砲台跡などもあり、ぼくは歩きながら須崎の歴史に思いを馳せた。

やがて潮の匂いが濃くなったかと思うと、目の前に砂浜が現れた。近くには漁港があり魚市場も併設している。
周辺に並ぶ活魚店を舐めるように眺め回していたぼくは、運良くめじかを食べることができた。「おまん、めじかの刺身を食べてみるかえ?」見かねた店主が、そう声を掛けてくれたのだ。めじかの刺身は新鮮さが命だそうで、地元でしか食べることができない。
新鮮なめじかのあまりの美味しさに、ぼくは思わず「すいません、ビールを」と口走り、失笑を買い、ビールを飲まずして頬を染めてしまったのだった。

地元のおじさんおばさんはとても気さくで、こんなぼくにも色々と話し掛けてきてくれた。
「おまん、どっからきたがぜよ?」
「たまるか、そらなんぎなことよ」
「ちっくとまちよってみいや、えいもんをやるき」
「もういぬるかよ? うちへとまったらどうぜ」
言ってることの半分以上は理解できなかったが、優しさと温かさは真っ直ぐにぼくの胸へと届いた。ぼくはお言葉に甘え、おじさんの家で一晩お世話になることにした。

おじさんの家のそばを流れる新荘川はとても美しく、ぼくは夕方、散歩に出かけた。川底の石が見えるほど水は澄み、時折、きらきらと魚が跳ねる。ぼくはそこで、川を泳ぐしっぽの長いかわいらしい小動物を見かけた。
夕食の時にその話をすると、おじさんは「かわうそやったらえいけんどねや」と興奮気味に目を輝かせ、ますます献酬は激しくなった。

次の日は、おじさんに連れられ、早朝から磯釣りへと出掛けた。
二日酔いの頭に、土佐弁と専門用語でのおじさんの説明は正直迷惑でもあったが、それでも見よう見まねで竿を投げているうちに、ついに当たりがあり、おじさんの手助けで、なんとか釣りあげることができた。引きの面白さ、釣りあげた時の感動は、なるほど、おじさんが病みつきになるわけである。おじさんはというと、一匹たりとも釣れず、ぼくは申し訳ない気持ちだったのだが、おじさんは「またきいや」と笑顔を見せてくれた。

あり、あり、海もあり、そして人情もある町、須崎。まだまだ他にもたくさんの美味しいもの、素敵な場所があるようである。海に沈む夕日を眺めながら、このまましばらくおじさんの家で厄介になろうかと、ぼくは自分勝手に考えるのだった。

須崎ぶらり放浪記(浦ノ内編)を読む

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